坂本 龍馬/さかもと りょうま
今回は侍イラストのご依頼として、坂本龍馬のイラストを描いてみました。
坂本龍馬 1836年1月3日生まれ。
坂本龍馬は、幕末期の日本の志士、経営者。
今なら、革命家、の方が似合うでしょうか。
本名は「直柔(なおなり)」で何度か改名しています。
5人兄弟の末っ子で、幼少期はひ弱な少年でしたが、体格のいい姉・乙女がいました。
この乙女から龍馬は剣術を学びだしたようです。
19歳になり東京に出てからも、学問を学びながら剣術の修行を続けました。
ですが、ペリー来航により海外にもちはじめた龍馬。
特に鉄砲の存在は衝撃的だったようで、砲術を身に着けることを目指します。
■坂本龍馬の功績
筆者個人が感じたことは、何よりも「行動力の鬼」。
彼は、江戸(東京)~京都~長崎と、各地を回って諸侯や志士たちとの連絡調整や交渉を行いました。
一説では蝦夷(北海道)も視野に入れていたようです。
剣術は習っていたものの、侍というよりは、
こうした交渉や立役者としての活躍が増えていきます。
特に有名なのは、日本初の会社「亀山社長」を作ったことでしょう。
後に「海援隊」となり、会社と海軍を足したような組織でした。
物を運ぶ仕事や外国語の勉強を行い、海軍といっても西洋式の海軍を目指したようです。
ですが順風満帆とはいかず、購入した船はたびたび沈没したりとトラブルは絶えず、
その件でも龍馬自身が奔走していたようです。
龍馬は海外とやりとりをするうちに、
日本は外国から狙われている、もっと日本を強くしなくてはいけない、と考えるようになり、江戸幕府を倒すことを目指すようになります。
江戸幕府を倒して新しい政治体制を作るため、様々な活動を行いました。
この話が幕府にいつのまにか伝わり、危ない人物だと狙われはじめたようで、京都の寺田屋で一度襲撃されます。
この時に助けてくれたお龍さんと結婚し、日本で初めての新婚旅行に行ったと言われています。
坂本龍馬は、薩摩藩と長州藩を結ぶ「薩長同盟」の締結にも尽力しました。
ですがこの締結は坂本龍馬には不利だったという話もあります。
坂本龍馬はあちこち奔走し、いろんな仲をとりもちつつも、
自分自身は私設海軍をつくりたかったようです。
■突然やってきた刺客
やがて龍馬の望みとおりに、1867年10月、江戸幕府は政権を朝廷に返しました。
いわゆる「大政奉還」です。
ですがその約1か月後…1867年に京都で坂本龍馬は襲撃にあい、暗殺されました。
剣術を学んでいた龍馬でしたが、この時は刀を持っておらず、抵抗できなかったようです。
龍馬はこの前の襲撃で、腕を負傷していた説もあり、例え帯刀していたとしても生き延びていたかどうかはわかりません。
子供のころから剣術を学んでいた身でもあるので、もし万全な状態で武器を持っていたのなら、返り討ちにできた可能性もあったかもしれませんね。
なお暗殺犯は、新選組の近藤勇が真っ先に疑われましたが、謎のままになっています。
暗殺の理由については、諸説あります。
坂本龍馬が幕末の政治情勢を変えようとする動きを進めていたこと、かなり強気な姿勢もとっていたことから、保守派の勢力からの反感を買っていたのかもしれません。
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上記はwikiなどの文献参考に書かせていただきました。
坂本龍馬については、今でも様々な推測がされています。
志半ばで倒れてしまった今、彼がどこまで目指していたのかはわからないままになってしまいました。
チャレンジ精神旺盛、常に野望に満ちていた彼が生きていたらどんな事をやっていたのか、とても気になるものです。
それではまた。